プロフィール

ご訪問ありがとうございます。りーなと申します。

私の育った環境について書きます。

 

母は元教員、父は大手外資系企業役員でした。

それは忘れもしない、2歳の頃の出来事です。

 

父親が「ぶっ飛ばすぞ」と大声で怒鳴り、母親に乱暴する姿…
そして深夜まで食事を出してもらえないので、当時一歳の弟と台所のマットに座りシンクに入れてあった塩と砂糖を交互になめ空腹を紛らわせていたこと。

 

守ってくれるはずの、世界で一番味方になってくれるはずの両親、父が母に暴力を振るうという恐怖、不安…薄暗い台所の床が冷たかったこと。

 

ただただ、目の前の光景を呆然と眺めていたこと…。

残念ながら、それが私の人生における初めての記憶になります。

高学歴、エリートという社会的立場の盾に守られることで通報を免れ、その後十三年間続いた父親の行為がDV(ドメスティックバイオレンス)と一般的に言われていることを知ったのはかなり後になります。

そしてこれも物心ついた時からですが、父のいない時に母は、些細な理由で感情的になり私、そして弟に毎日のように数時間に渡って手を上げました。

 

ものさし、ガス管のホース、ベルト…家にあるありとあらゆるものが武器となり、体中傷だらけミミズ腫れだらけで学校へ行っていました。

母に関しては今となってはもう、殴られた記憶しかありません。

 

 

殴られている間は歯を食いしばり耐え、怖くて体が震えて歯がガチガチいって、手足が冷え好きなだけ殴ったら早く母の気がおさまってくれればいいなと思っていました。

 

母の行為が、幼児虐待だと知ったのはこれもかなり後になります。

本業に加え大学の客員教授や本の出版までしていた父の社会的立場に配慮し、母は暴力を最後まで通報することはありませんでした。

 

私たちは母から口止めされていました。

 

 

父の暴力はますます悪化、母の顔に大きな黒あざができるほど殴り、止めようとした幼稚園児だった私たち兄弟まで、
母と一緒に深夜まで追い出され家に入れてもらえないなどしょっちゅうでした。

そして弟が小学校高学年になる頃からでしょうか。父の暴力のターゲットは母から弟へと変わっていきました。

 

 

この頃になると父は、大声で怒鳴りながら、気絶させるまで暴力を振るいました。

必死で止めましたが、酔って感情的になった男性の力を前にあまりにも女性は無力でした。
私が警察に通報したこともあります。

 

 

椅子など大型の家具を投げつける時もあり、玄関の姿見やシャンデリアは粉々に砕け、家じゅうガラスの破片になることが日常茶飯事であり、毎週月曜日になると修理業者が我が家を出入りしていました。

私は普通の家庭というものを知りません。生まれた国が銃弾の飛び交う戦場であったのと同じです。

 

 

過干渉な母は、私が小学校から高校生になるまで学校以外で一度も友達と遊ぶことを許してくれなかったので、クラスメイトの家に遊びに行ったことがありません。

 

 

しかしその反面、母は全くお金の管理ができず、十分父からもらっていた毎月の生活費を使い込んでしまうので給食費さえ支払ってもらえず、請求の手紙をいつも担任から受け取っては恥ずかしい思いをしていました。

 

 

両親の異常性に気づいたのは実家を出てからのことでした。

私は20歳で実家を出ました。それは自分の身に危険が及んだからです。

 

 

私の弟を出産してから母は、父との夫婦関係を30年以上拒否していました。

そのことで不満をぶつける父に「暴力を受けたのだからそういう関係は持てない。」と母は言っていて、私も当時は納得していました。

 

 

しかし、私が高校生になる頃から父の関心が私に向くようになっていきました。
母の目を盗んでは、ストーカーのように何十枚も写真を撮られたり、卑猥な言葉を言われ何度もお風呂を覗かれました。

同級生を紹介しろとまで言われました。

 

 

そのことで深く傷つき悩み、泣いて何度も恐怖を感じ母に相談しましたが助けてくれることはありませんでした。

どんどん父の行動はエスカレートし、父と二人で家にいることさえ怖くなり、出ていくしかないと思いました。

 

 

私は飛行機を使わなくてはならない遠方に引っ越し、女友達とルームシェアし就職もしたのですが、何度転職しても社会でうまくやっていけませんでした。

そのストレスから大量に食事をしては吐くことを繰り返すようになり、家庭で両親からされたことを思い出してはフラッシュ

バック、パニック発作を起こしある日突然無気力とうつ状態になって仕事に行けなくなりました。

 

 

友人に紹介された心療内科でカウンセリングを受け「あなたは典型的なAC、アダルトチルドレンですね」と医師から言われ、うつ病と診断されました。
‟AC"について検索するといろいろな定義がありますが、その医師によると
「例えば酷く虐待を受けて育ったなど、要は子供らしい時代を与えられずに、必死に生きて大人になった。」
人たちのことだと説明を受け「そのような異常な家庭環境で育ったゆえに、完璧主義に陥りやすく失敗したとき、ミスを指摘された時に酷くダメージを受けてしまうので社会においても人間関係においても非常に不器用になってしまう。」と言われました。

 

 

両親が呼ばれ、いくら医師がこのことを直接話しても、お互いに責任をなすりつけ合うばかりで最後まで責任を認めることはありませんでした。

それからはもう、救いようのない怒り、寂しさ、孤独、両親や社会への不満とか、いろいろなものをぶつけるところがなく絶望していました。

 

 

全く仕事ができず二年間寝ていましたね。ほとんどこの期間の記憶がないのは人生で一番辛い時だったからかもしれません。

でも、それは二十代前半の話。
「立ち上がらなきゃ!」そう決意してから二年の闘病の末、私はうつ病とすべてのうつ病に伴う症状を克服し社会復帰しました。

 

 

寝る間も惜しんで死ぬ気で頑張って勉強し、ライバルを蹴落とし会社ではトップの業績を上げました。

不思議とこういう家庭に育ったからこそ、悪事を働く人間や人の心が見抜けたり競争心や闘争心、正義感が強くなったりして合う仕事ってあるものなんです。

 

 

社会で様々なバックヤードを持つ人たちと出会いました。
理由があって親と暮らせず、児童養護施設で育った子供や私のように虐待を受けて、育ち酷くトラウマを抱えている若者…世の中には私のような人や私よりもっと大変な境遇で育った人がたくさんいると知りました。

それから10年以上経ちますが、抗うつ剤など一切使用せずに、メンタル疾患は再発していません。

 

 

結婚して毎日幸せに暮らしています。この世を去りたいと考えることは二度とありません。

母親が理由で結婚が二回破綻になりましたが、両親とは結婚を期に絶縁しました。

私の両親を世間では「毒親」と呼ぶそうです。

 

 

今両親に伝えたいことは「大きな家も、毎年の豪華な海外旅行もいらなかったから温かい安心できる普通の家庭が欲しかった。」それだけです。

両親についてどう思っているか聞かれたら、「許すつもりもない。」だけど「恨むつもりもない。」そんな感じです。

 

 

でも最近は少しかわいそうな人たちだったんだろうなと思います。

だって幸せな人は大切な家族を殴ったり子供を虐待するなんてこと、しないですもん。

 

 

私のこのような経験から、「毒親」によって苦しめられている方のためにどうしても伝えたいことがあります。
何か少しでもお役に立てればと思いこちらのサイトを立ち上げました。