誰しも遅かれ早かれ、いつかは親の介護問題に直面します。
しかし世の中には毒親家庭で育ちとても介護など出来る精神状態にない人も数多く存在します。
毒親にされてきた仕打ちを思い出しては、なぜ自分が面倒を看なくてはいけないのか、ただ親子というだけで、再び子供時代のような辛い日々に戻らなくてはならないのか…そう考え病んでしまうかもしれません。
私も数年前に毒親とは絶縁したのですが、世間が何と言おうと身体的、精神的虐待を受け、思い出すだけでもパニック発作を起こすほどのトラウマを抱えた毒親育ちに親の介護を強要されることは、耐え難い苦しみとなります。
ある毒親育ちの介護問題に直面しておられる方は「あの地獄のような日々にまた戻るのかと思うと、とても耐えられない。」と話していました。
私は、毒親をどうしても介護できない方は断固拒否すべきだと思っています。
今回は私がそう断言する理由について3つに分けて書こうと思います。
目次
そもそも法律は親の扶養義務について、○○を定めていない。
確かに法律的に独力で生活できない年老いた親を扶養する義務はあります。
“直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある”(民法第877条)
しかしこの法律には留意すべき点が三つあります。
1、扶養の程度については定められていない。
同居し親が亡くなるまでつきっきりで介護しなくてはならない、施設に世話を依頼することが許されないということはありません。
2、対象者が子供だった場合(親が子供を扶養)強い扶養義務が生じるのに対し、扶養対象が親(子供が親を扶養)となると、課される義務は弱いものと言える。なぜならあくまでも自分たちの生活が第一であり、そのなかで経済的な余裕があればという法律的解釈だから。
例えば介護のために経済的に困窮するのに仕事を辞めなくてはならない、借金してまで親を扶養しなくてはならないのにやれということはありません。経済的に余裕がなければ親の介護を強制されることはないのです。
3、子供のうち誰がとは定められていない。
一般的に長男長女が親の介護をするものみたいに思われていますが、実際法律では全くそんなことを定めていません。
介護を分担して行うのか、あるいは毒親の被害に遭っていない子供が介護するのかなど子供たちが話し合うことができます。
答えが出ないのなら家庭裁判所に調停あるいは審判を求めることも可能です。
家庭裁判所で虐待を受けたトラウマや後遺症について訴え、不可能だと主張できます。子供が全員毒親による虐待のトラウマでメンタル疾患やPTSDを発症しているなら(あるいは何らかの理由で不可能なら)施設の利用も検討できますし、その点でも意見がまとまらないなら家庭裁判所に決めてもらうことができます。
では毒親本人が扶養義務を理由に訴えてきた場合はどうでしょうか?
正当な理由により介護を拒否する手段もある。
まずそんなことをする親は稀ですが万が一訴えてくるようなことがあれば、拒否する正当な理由があるのですから堂々と理由を主張しましょう。
連日毒親の虐待により亡くなってしまった子供のことがニュースで報道されるように、世の中には一般家庭で育った人には到底理解できないような親がいて、毒親育ちの人のなかには命がけで逃げてきた人たちもいます。身体面、精神面で後遺症に悩まされている人もたくさんいます。
弁護士に早めに相談しておき、毒親による被害により心療内科を受診した通院履歴や診断書など証拠をそろえておきましょう。
私の両親は経済的に困窮する可能性はないので扶養を求めて裁判を起こされる可能性はまずありませんが、いくつかの理由で私は訴えられても100%勝つ自信があります。
最後に、私が毒親の介護をできないと感じている方が無理をしてすべきでないと思っている大きな理由を書きます。
人生は有限、一度きり。
人生はやり直せない一度きりのものであり、有限です。若くて健康でいられる時間も限られています。
貴重な子供時代を台無しにされ、ようやく解放されたのに再び毒親の犠牲になることに人生の貴重な時間を費やしても良いのでしょうか。
社会人になった大人が親と絶縁するには、それなりの理由があります。子供が親に反抗して家出をするのとは全く違います。
そして毒親との絶縁は簡単なことではありません。子供の側にも強い覚悟と意思、さらに私がそうだったように大きな犠牲も伴ったはずです。
思い出してみて下さい。それでも絶縁したのは、そこに絶縁せざるを得ない程の大きな原因があったのではありませんか。
それなのに介護によって毒親と復縁したところで、何一つ問題はなくなっていません。
老いても人の性格は簡単には変わりません。毒親は毒親のままです。以前のようにけして感謝することもなければ支配したり奴隷のようにあなたを扱ったりするだけでしょう。
「子供が老いた親の世話をすべき」
そんな世間の常識は、常識的な家庭で育った一般人のみ通用する常識に過ぎません。世の中にはいろいろな家庭があり、親がいます。
まともな家庭で育った夫と結婚して私は日々感じるのですが、愛情深い家庭で育った人と毒親家庭で育った人との感覚には、弾丸が飛び交う戦地に生まれ育った子供と先進国で育った子供くらいの差があります。
当然、平和な国で育った子供の常識は戦場育ちの子供には通じません。
考えてみて下さい。
親の介護ってそもそもなんなんでしょう?
誰かに強制されてするものではなく、育ててくれた親に対する感謝の気持ちに動かされてするものではありませんか。
親として最低限の役目も果たさず、子供にとって毒となることばかりし一生苦しめられるほどの悪影響やトラウマを負わせた、感謝の気持ちなど全く持てない親の介護をする義務を感じますか。
まとめ
- 法律は親の扶養義務について程度を定めていない。自分たちの生活が第一であり親を扶養する余裕があればという程度のことしか求めていない。経済的に余裕がないという理由で拒否することも可能。長男長女だけに介護義務があるわけでなく、子供同士話し合い、話がまとまらないのなら家庭裁判所に頼ることができる。
- 毒親に扶養義務を理由に訴えられても虐待された過去、精神的被害を被り心療内科を受診したことなどを正当な理由として拒否することができる。
- 絶縁したのならそれなりに理由があったから。人生は有限で一度きり。「子供が老いた親の世話をすべき」という世間の常識に振り回されずに決断しよう。
幸福追求権(13条)はすべての人にあります。誰かのために犠牲になるために生まれてきた人なんていません。
自分のために、自分自身が幸せになるために生きて良いのです。
体調面でも精神面でも毒親の介護は耐えられないと感じているのに無理をして引き受け、メンタル疾患になり働けなくなったり、自分自身の家庭が崩壊したりしては意味がありません。
自分で自分の首を締める決断だけはしないようにしましょう。