‟過保護”とは辞書によると、「子供などを大事にしすぎること。また、そのように育てられること。」(三省堂 大辞林)とあります。
一見すると良いことのように聞こえなくもないのですが、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」です。
誕生日やクリスマスにケーキを食べることは人を幸せにしてくれますが、毎日ワンホール食べていたら健康を害するでしょう。
良いと言われることであってもやり過ぎては害となり毒となります。
過保護・過干渉な親に育てられることは成長した子供に社会生活や人間関係、恋愛など様々な面で悪影響を及ぼします。
トラウマからなんとか脱出したいけれどもそのためにはどうすれば良いのか悩んでおられる方もおられるはずです。
私の母親は過保護に子供を育ててしまった典型的な毒親でした。
そこで私の経験から過保護な毒親によるトラウマを克服するための方法について今回は書きたいと思います。
目次
過保護な毒親にありがちな17の特徴
まず、過保護の親にどのような特徴があるのか書きます。
- 独自の教育方針、自分のなかでこうあるべきだという子育ての方法に固執、子供に押し付ける
- 自分の子育て論に対する他人の意見に全く耳を傾けない
- 子供が望んでいない習い事を強制
- 自分の意見が絶対、子供の意見が自分と違った場合許さない
- 子供の趣味や娯楽を支配
- 子供の喧嘩の仲裁にすぐ入る(親が解決)
- 何でも親がトラブルや危険を先に回避、子供に失敗させない
- 進路を勝手に決める
- 恋愛関係に口出し指示
- 交友関係に口出し遊ぶ子供を親が選ぶ
- 子供が欲しがるものを何でも買い与える
- 毎朝子供を親が起こし、自分で起きる習慣をつけさせない
- 子供の忘れ物を届ける
- 子供が遅刻しそうになると学校に車で送る
- 着る服を親が決める
- 自分の目の届かない時間の子供の行動を把握したがる
- 勉強の計画を親が立てる
こちらは過保護な親にどんなケースがあるか紹介された動画です。
ではこのような親に育てられると子供はどうなるのか?次に書きます。
過保護は超危険!そのままだと大変なことに!?
過保護の毒親に育てられ大人になると、自分の人生なのにどう生きたらいいのかわからなくなってしまいます。
社会に出ても常に指示待ち状態、受け身です。指示がないと動けません。
自信がなく、うつ病などのメンタル疾患にかかりやすくなります。
親の思い通りにしないと暴言を吐いたりヒステリックに怒鳴られたりして育つと委縮してしまい、人の顔色ばかり窺い過ぎて、自分の意見を持つことやはっきり主張することができません。
人生に自由がないと感じ、心から何かを楽しんだり幸せだと感じたりすることができません。
また失敗や危険をいつも親が回避してしまったので、過度に失敗を恐れ必要な時に行動できなかったりちょっとしたミスで立ち直れなかったりします。
過保護、過干渉は子どもの思考を奪います。
なぜなら失敗、成功を通して子供はいろいろなことを考え、学び、成長すべきだからです。
私の母親は私が高校生になるまでずっと毎朝起こし、着て行く洋服を全身靴下まで全部出す、遅刻しそうになると必ず車で送る、忘れ物は100%学校に届ける、大変な宿題や課題は代わりにやる、学校で何かトラブルがあるとすぐに乗り込み担任に直訴する人でした。
その一方で母は私を支配し、思い通りにならないことがあると暴力を振るいました。
例えばこれは小学校二年の頃の話ですが、私は学校の帰りに一度だけ寄り道してクラスメイトの女の子と一時間公園で遊んだのです。
そのことがバレてめちゃくちゃ叩かれ「まっすぐに帰ってこいというルールを破って私を裏切った!」と母は言うんですね。翌日、体中傷だらけになって学校へ行った時、その子に「ごめんね、お母さんに叩かれたからもう遊べないんだ。」と話したのを覚えています。
何か母の指示に違反すれば殴られることを毎日ずっと繰り返しているうちに、物事の因果関係や理由について考えることができなくなってしまい、私はついに完全に思考停止しました。
私の中で「なぜ?」と考えることがなくなってしまい、なんでも「言うとおりにしないと叩かれるから。」となってしまったんです。
そのことは恐ろしい結果を生み出しました。
運転免許を18歳で取得した時、私はすべての道路交通法をただ「ルール」「規則」として捉え暗記しました。
ですから「なぜ?」とそこにある大切な理由まで考えることがなかったのです。
だからラインで一時停止することも、巻き込み確認することもすべて私にとってはただの義務であり、ただ形だけ行っていたのです。
ある日私は狭路から出てきて交差点を直進しようと、一時停止して右左を‟形だけ”確認しアクセルを踏み込みました。一時停止や左右確認の理由なんて考えたこともありませんから、きちんと見て確認していません。
そして大通りを直進してきた車と激突!!
相手の車も私の車も全損…相手のドライバーは奇跡的に無傷だったものの私は怪我を負いました。
すべて指示待ち、自ら考えて行動しない癖がこのような悲惨な結果をもたらしたのです。
最後に私が過保護な親の影響をどのように克服したか書きます。
過保護な親からは○○するのが克服への近道
私が、過保護な親に育てられたと知ったのは社会で上手くやっていけず転職を繰り返しメンタル疾患になり、医師に指摘されたことがきっかけでした。
そして自分がいかに母親に依存してきたか気づかされ、母親なしでは生きられない人間になっていたことを知りました。
私が自活しても私の交友関係や貯金額を把握し続けすべて指示、母に反対され何度も恋人と別れさせられる、毎日何時に出かけ誰と会い、何をし、何時に帰宅したか報告の電話をしないとヒステリックに怒鳴り、電話に出なければ100回でも母からの着信履歴が残っている携帯電話…そんな生活に疑問や怒りを感じるようになりました。
そして、そのままではいけない!と強く思ったのです。
私は母親から「独立」することを決めました。
そのためにこのようなことをしました。
- 子供時代には許されなかった習い事を始めた
- 母に大反対されても好きになった人と交際し続けた
- 仕送りを拒否、経済的に完全に独立
- 母がのめり込み、子供の頃無理やり入れられていた宗教から脱退
- 母の反対を押し切り、やりたいと心から思った仕事に就いた
- 絶縁されても本当にやりたいことをして、生きたかった人生を歩んだ
- 最後はこちらから絶縁
こうして書くと簡単なのですが、私にとっては濁流に逆らって泳ぐくらい大変なことでした。
かつてのように思い通りにならない私は母にとって反逆者同然、実家には二度と帰ってくるなと言われ、経済的に困窮しても見捨てられましたし、病気になって入院しても母が助けてくれることはありませんでした。
何より大変だったことは何でも自分で考え、自分で決める…自分の力で人生を歩む。そう言った意味で弱い自分や、子供時代についてしまった悪い癖と闘うことだったと思います。
毒親の過保護による影響を克服するには?まとめ
- 過保護の親は自分の意見を子供に押し付け、子供の意思や人間性を認めないなどの特徴がある。
- 過保護の親に育てられると自主性や社会性を身に着けることができずに育ち、人生をどう生きたらわからない、人の顔色を窺いすぎるなど大人になって苦しむケースが多い。
- 過保護の親の影響を克服するには「自立」することが大切。
過保護な毒親に育てられた子供にとって社会は茨の道です。初めて自活した時にもそう感じることがあるかもしれません。
それでも毒親から完全に自立するなら、大変なことはあっても誰かに支配されている人生では絶対に得られない本当の意味での幸せや喜びを味わうことができ、何より自分の力で自分の足で人生を歩んでいるという充足感を得られますよ。